恋人たちの冬のデートスポットといっても過言ではないイルミネーション。最近ではイルミネーションもどんどん進化して、プロジェクションマッピングとコラボレーションしている。
さて、このイルミネーション、有名な戦国武将・織田信長が生み出したものだといったら信じるだろうか? そう、天下統一を目指したあの織田信長である。
はたしてどんなイルミネーションだったのか? 今回は織田信長が行った日本初のイルミネーションについての雑学を解説していこう。当時の光景を想像しながら、ぜひ読んでほしい。
【歴史雑学】日本初のイルミネーションは安土城で信長が行った
【雑学解説】日本初のイルミネーションは安土城
織田信長といえば、誰も思いつかないような奇想天外のアイディアを生み出すことでも有名だった。その発想はまさに神の域といってもいいだろう。
イルミネーションもそのうちの1つ。しかし、もちろん当時は今のように電飾なんてものはない。では、どうやってイルミネーションを完成させたのか。
信長の作ったイルミネーション。それは提灯と松明を使ったものだった。あたりの灯りは全て消し、天守閣からは提灯、入り江では舟を浮かべ松明を灯す。
現代のように色鮮やかではないが、炎の色・オレンジで全て統一され、安土城近くの琵琶湖の湖面にもその様子が移り、見る者を魅了したといわれている。その当時の安土城の様子を再現したといわれるのは、次の動画だ。
どうだろう、この幻想的な美しい光景。このイルミネーションは1人の宣教師が母国に帰る際に信長が企画したものだという。信長の「自分も楽しみながら、相手も楽しませる」という考えから生まれた宣教師へのプレゼント。
今見ても魅了されるのだから、当時の人々にとってはすさまじい衝撃であったに違いない。
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【追加雑学①】安土城は戦うための城ではなかった!?
戦国時代の城といえば戦を想定して、防御面も考慮して作られているのが一般的だ。しかし、この安土城、上の動画でもチラっと出ていたが、城の頂上付近まで一直線に道が続いている。
このことから、安土城は敵に攻められることを想定していない「魅せる城」であったのではないかと考えられている。つまり、「どうだ、こんなにすごい城があるんだぞ」とみる相手を圧倒させるための城であるというのだ。
まぁ、安土城が建てられる頃には信長の領土はかなり広くなっていたらしいから、城まで攻めてくるような輩はいないだろうという考えもあったのかもしれない。
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【追加雑学②】織田信長が現代の転勤を生み出した
戦国時代の武将は城を建てると、その場所からは基本動くことはなかった。現代でいうマイホームと同じ感覚だろう。
しかし、織田信長は一箇所に長くとどまることなく天下統一の準備のために何度も拠点を移していた。当然、織田信長だけでなく家臣も一緒に移住となる。これが、現代の転勤になったと考えられている。
昔のほうが上司(ここでは織田信長)の命令には逆らえなかったから、何度も行われる移動でかなり苦労したに違いない。家臣たちに同情の気持ちが生まれる。
雑学まとめ
常に画期的な考えをし、行動に移してきた織田信長の驚きの雑学をご紹介した。
当時行われたイルミネーションは宣教師だけでなく、多くの見物人がその美しい幻想的なショーを楽しんだといわれている。恐ろしいイメージの多い織田信長だが、こうやって多くの人々を楽しませる魅力的な一面もある。
ちなみにこのイルミネーション、大阪や京からも見物客が来るほど評判だったという。もしこの時代に行くことが出来るのなら、ぜひとも実際に見たい。