マラソンといえば、42.195km。これはもう、オリンピックが始まった当初から、数学の公式のようにきっちり決まっているもので…と思いきや、そんなことはなかった!
なんとオリンピックが始まってからしばらくの期間、マラソンの距離はバラバラだったのだ。
距離が決まっていなかったら、今のマラソンよりずっと長い距離を走る過酷レースだったり、逆にずっと距離が短くて楽勝だったりしたのだろうか?
今回の雑学では、オリンピックのマラソンの距離についてご紹介しよう。
【オリンピック雑学】五輪の初期は、マラソンの距離は大会ごとにバラバラだった
【雑学解説】42.195kmに決まる前の各大会のマラソンの距離とタイム
そもそもマラソンは、古代ギリシャの時代、伝令の兵士がマラトンの戦場からアテネまで勝利を伝えるために40kmの道のりを走ったという故事に由来している。
そのためか、42.195kmに決まる前の各オリンピックでは距離はバラバラであっても、おおよそ40kmの距離は走っていたようだ。
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第1回オリンピック(1896年4月10日・アテネ)
オリンピックとしてもマラソンとしても、記念すべき第1回の大会である。優勝者はギリシャのスピリドン・ルイスで、36.75kmを2時間58分50秒でゴール。
36.75kmという数値だけ見ると距離が短めで楽そうに思えるが、実際にはどのコースよりも走りにくかったかもしれない。というのも、このコースは18km地点から30km地点まで坂道が続き、その12kmの間に200mの高さを登ることになるからだ。
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第2回オリンピック(1900年5月14日~10月28日・パリ)
優勝者はフランスのミッシェル・ティアト。
40.26kmを2時間59分45秒でゴール。
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第3回オリンピック(1904年7月1日~11月23日・セントルイス)
優勝者はアメリカのトーマス・ヒックス。39.9kmを3時間28分53秒でゴール。
優勝したヒックスは神経を刺激させるストリキニーネ入りのブランデーを服用して走ったため、レース後に医者の治療を受けるはめになった。
なお、当時はドーピングを明確に禁止していなかったので、ヒックスの記録は公式に認められている。
第4回オリンピック(1908年4月27日~10月31日・ロンドン)
優勝者はアメリカのジョニー・ヘイス。42.195kmを2時間55分18秒でゴール。
このときのレースでは、1位のピエトリが他者の手を借りながらゴールしたことが問題となり、2位のへイスが繰り上がり優勝となった。
第5回オリンピック(1912年5月5日~7月22日・ストックホルム)
優勝者は南アフリカのケン・マッカーサー。40.2kmを2時間36分54秒でゴール。
第6回オリンピック(1916年)
ベルリンの予定だったが、第1次世界大戦により開催されなかった。
第7回オリンピック(1920年4月20日~9月12日・アントワープ)
優勝者はフィンランドのハンネス・コレマイネン。42.7kmを2時間32分35秒でゴール。
こうして各大会の記録を並べてみると、距離の短さとタイムの早さは必ずしも比例しないことが分かる。
特に、距離が一番短いアテネ大会と、距離が一番長いアントワープ大会を比べると、アントワープのほうが25分もタイムが短いのは面白い現象だ。
やがて第8回オリンピックで距離の統一が図られた。
そのとき採用されたのが、第4回オリンピックの42.195kmである。これは、何度も倒れながら1位でゴールし、他者の手を借りたことで失格となったドランド・ピエトリの健闘を記念したものといわれている。
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【追加雑学①】女子マラソンは1984年までオリンピックの正式種目に入っていなかった
今の世の中、オリンピックで女子がマラソンをしているのは、ごく普通の光景である。しかし、1984年にロサンゼルスで行われた第23回オリンピックまで、女子マラソンはオリンピックの正式種目として認められていなかったのだ。
その理由として挙げられているのは2つ。まず「スポーツは男性がするもの」と考えられていたこと。それから、「マラソンは女性の身体に適さず、大きな負担になる」と考えられていたことである。
しかし、女性側も黙っちゃいない。
第1回オリンピックではメルポメネという女性が他の選手の後から同じルートを走り、マラトンからアテネまでを4時間半かけて完走した。もちろん公式な記録としては認められないのだが、事実上の女性マラソンランナー誕生の瞬間である。
その後も各地のマラソン大会で、制止を振り切って飛び入り参加したり、うまく女性であることを隠して登録したりと、非公式の女性参加者が後を絶たなかった。
そのため、1970年のニューヨークマラソンを皮切りに女性の参加が認められるようになり、ついに1984年のロサンゼルスオリンピックで女子マラソンが公式種目になったというわけだ。
【追加雑学②】古代オリンピックにはマラソンがなかった!
近代オリンピックの創始者であるクーベルタン男爵は、古代オリンピックに感銘を受けて復興させようとした。
しかも第1回大会をアテネで開催したのは、マラトンの故事にちなんだマラソンのためである。つまり、マラソンはオリンピックを象徴する競技といえるわけだ。
それならば、マラソンは古代オリンピックでもさぞ人気だったのだろう…と思いきや、なんと、古代オリンピックではマラソンが行われていなかったのだ!
古代オリンピックでは、第1回から第13回まで、1スタディオン(約191m)を走る短距離走だけが行われていた。やがて種目が増えていったのだが、長距離でも1スタディオン(約191m)を10往復するくらいだったというから、およそ2km前後を走るものだったようだ。
雑学まとめ
オリンピックのマラソンの距離についての雑学を紹介してきたが、いかがだっただろうか。
マラソンは「マラトンの戦い」のイメージがあるので、古代から伝統的に42.195kmを走っていたと思いがちだ。しかし実際には近代オリンピックから始まったもので、距離も統一されていなかった。
もし距離がバラバラのままだったら、今度のオリンピックでは何kmを走るのか? ルートの難易度は? なんていう話題で盛り上がっていたのかもしれない。
それはそれで面白そうだけど、走者がプランを立てやすくなったり、各大会の記録を比較しやすくなったりとマラソンが大きく発展したのは、距離の統一があったからこそなのだ。