拳銃と聞くと、警察官をイメージする方が強いのではないだろうか。日本の警察官は護衛のために拳銃を所持することが合法的に認められている。
だが、かつての日本では警察よりも先に、郵便局員が拳銃を所持していた時代があった。郵便局員が拳銃の所持を認められたのは、黎明期にあった郵便事業にあって、郵便物の取扱量が増加したことに関連している。この記事では、その経緯についての雑学をご紹介しよう。
【歴史雑学】警察より先に郵便局員が拳銃を所持していた
【雑学解説】郵便事業にまつわる、知られざるトリビア
日本で郵便事業が開始されたのは、明治時代に入ってからである。「郵便の父」といえる前島密(まえじまひそか)の発案によって、明治4年に東京ー大阪間で郵便事業が開始された。
この郵便事業の黎明期に、郵便局員たちは拳銃の所持が認められていたのである。当初は郵便局員の拳銃の携帯は「短銃取扱規則」によって定められていたが、明治20年「郵便物保護銃規則」が制定されることになった。
この法律が施行された背景には、現金書留の取り扱いの増加にともない、強盗被害が後を絶たなかったことにある。なおこの法律は、昭和24年に逓信省(ていしんしょう)が郵政省へと組織が改変する際に廃止された。
郵便局員に所持が許可された拳銃は、スミス&ウェッソンNo.2アーミーリボルバーといわれるもので、現在は東京スカイツリー内にある、郵政博物館に展示されている。
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【追加雑学①】郵便ポストはかつて黒く塗られていた
郵便事情が開始された当時のポストは、現在とは異なり、黒く塗られていたのをご存知だろうか。
明治4年、郵便ポストは事業開始とともに設置された。翌年、郵便局が各地に増設されていくにつれ、ポスト数も増加の一途をたどった。当時の郵便ポストは杉板を組み合わせて作られ、黒く塗られたものだった。
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このポストは30年あまり使用されていたが、明治34年、耐火性のある鉄製の丸型ポストに切り替えられたとともに、変更されることになる。郵便ポストが現在の赤に変更されたのは、夜に投函する際、闇にまぎれて見つけにくいこともあり、試験的にポストを赤く塗られたことがはじまりとされる。
正式に郵便ポストが赤に変更されたのは明治41年だった。なお戦時中は、物資不足もあって、鉄は希少な素材だった。そこで鉄製の郵便ポストにかわり、コンクリートや陶器などを使用した代替ポストが作られている。
【追加雑学②】南極には銀座と付いた郵便局がある
南極は、日本から遠く離れた場所である。じつは、この大陸に東京銀座郵便局の分室が設けられているのをご存知だろうか。その分室は、南極観測隊が駐留する昭和基地内にある。
昭和基地は昭和31年に日本から派遣された第1次南極観測隊が、東オングル島に設営した拠点地のことである。昭和40年、昭和基地内に郵便局が設けられたが郵政民営化にともない、平成24年には銀座郵便局の分室に名称が変更された。
郵便業務は観測隊が南極へおもむく夏と冬の年2回にわたっておこなわれる。基地内には小型の郵便ポストが設置されており、これは日本で最も南に位置する郵便ポストになる。
郵便料金は日本国内と同額に設定されており、年間約1,000通の郵便物を取り扱うという。なお、銀座郵便局・昭和基地分室の消印は、日本にいても押してもらうことが可能だ。
毎年10月の中旬に、日本郵便のウェブサイトなどに募集情報が掲載されている。消印は、南極観測船が昭和基地に接岸する日付が押されるという。気になる方は、チェックしてみてはどうだろうか。
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雑学まとめ
郵便局員に所持が認められていた拳銃についての雑学と、郵便にまつわる雑学についてご紹介した。ふだんなにげなく利用している郵便にも、さまざまな歴史があることを分かっていただけただろう。
また南極にある、昭和基地内の郵便局が銀座郵便局の分室にあたることにも驚かれたかもしれない。郵便事業の歴史を見ていくと、メールや年賀状などが電子化される時代において、手紙やハガキでやり取りするアナログの良さも捨てたものではないと感じる。
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