江戸時代、第五代将軍・徳川綱吉によって出された法令「生類憐れみの令」。綱吉は犬将軍とまで呼ばれ、この法令でお犬様は人間よりもえらく尊い。「もしお犬様を傷つけるようなことがあれば打ち首!」…と、このようなとんでもない悪法として記憶している。
実は、生類憐れみの令の対象は犬だけではなく、馬・牛・猫など身近な動物はもちろんのこと鳥・魚・虫なども含む、生き物全般だった。飛んできた蚊をパチン! と潰すだけで罰せられたというエピソードもあるほど、当時の人々を苦しめたのだ!
今回は、バカ殿か!? とさえいいたくなるような、この生類憐れみの令についての雑学を紹介するぞ!
【歴史雑学】「生類憐れみの令」はどのくらい厳しかった?
【雑学解説】生類憐れみの令では、生き物を殺すと罰せられた
生類憐れみの令は130もの法令の集まりのことで、中身をみていくと生き物全般に対して厳しく定められているのだ! いくつか紹介していこう。
- 犬を捨てたり傷つけてはいけない
- 馬やブタなど生き物を殺してはいけない
- 魚釣りの禁止
- 鳥の捕獲禁止
これでは当時の人々は肉・魚を食べることができなくなり、みんなベジタリアンになれということだ。
さらにエスカレートしていくと…
- 虫を捕獲して虫の音色を聴くための飼育は禁止
- 金魚を飼いたいなら幕府に届けで出ること
- 田んぼや畑を荒らす害鳥は離島に運んで放すこと
- 蚊が止まったら、そっとうちわであおいで逃がす、もしくは我慢すること
これをお殿様に守れと言われれば、当時の人々は守るしかないではないか。
もし破った場合は、はりつけの刑・打ち首・島流しなど厳しく処罰されるというのだ…。やりすぎだ…やはりバカ殿か!? と腹が立つが、当時の人々はこれを必死に守ったのである。
蚊を殺したらどうなる!?
ほっぺたに止まった蚊を潰し、血を見せた者がいた。当時、法令を破ったものを密告すると賞金がもらえたため、これを見ていた者が密告! 蚊を潰した者は島流しとなり処罰された。
しかし密告した者も、「潰される蚊を救わず、なぜただ見ていたのか」と罪に問われ、閉門(監禁)処分になった。
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【追加雑学①】生類憐れみの令では、犬に戸籍と豪邸が!?
犬を保護するために、綱吉は犬の戸籍を作って管理し、豪邸のような保護施設でたくさんの野良犬を保護した。
犬毛付書上帳(いぬつけかきあげちょう)
毛の色や種類、どの家に何頭いるかなどを記し、出生届や死亡届も出させた。
犬屋敷を建設
江戸郊外に、東京ドーム20個分もの敷地を使って巨大な犬屋敷を作り、犬を保護した。
犬の医者や犬屋敷専属の役人まで置き、5,000人以上の人手で犬を養育した。これによって、江戸の野良犬は激減したという…。
ここだけ切り取ると、現代の動物愛護の観点からは称賛を受けそうではある…。
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【追加雑学②】極端な動物保護で人々が混乱
生類憐れみの令は極端すぎる法令だったため、江戸の人々は肉食を禁じられ、害虫や蚊すら殺せない生活…。娯楽としての魚釣りや虫の音色を楽しむなど、日常のちょっとした楽しみすら奪われたのだ。
人間は生類じゃないのか!? と反論することもできなかっただろう…。
【追加雑学③】命を大事にすることを諭したとの見解も
歴史に残る悪法といっても過言ではない生類憐れみの令だが、実は動物愛護を通して、命の大切さを諭す福祉政策だったとの見解もされている。
当時は武士の時代。昼間っから刀を振りかざし、殺しあうような時代だ。そんな武士たちへの戒めでもあったのではないか…との考えもある。
しかし…いくら福祉政策だったといわれても、蚊を潰して処罰された人も生類だ! とツッコミたくなる。
「生類憐れみの令」の雑学まとめ
今回は、生類憐れみの令に関する雑学を紹介した。歴史の授業で習ってはいたが、ここまで厳しい法令だったとは…。
実は、綱吉自身も法令を破りそうになった出来事があった。
あるとき「アホー!アホー!」と空を飛ぶカラスの糞が、綱吉の頭に落ちてきた。怒り狂った綱吉は、「捕まえて八つ裂きにせよ!」と…。周りにいた家来たちが、「それは法令違反です!」と必死に制し、このカラスは流罪になったとさ。
糞を落としたカラスに拍手を送りたい。