平安時代の男性貴族といえば?
烏帽子(えぼし)・直衣(のうし)・蹴鞠(けまり)・まろ眉毛・しもぶくれ・笛とか琵琶とか楽器やってそう・なんか変な棒みたいなのもってる…みたいなイメージを思い浮かべるはずだ。
ほとんどの特徴はなんらかのしきたりだったり、当時流行っていたファッションだったりするのだが…なかでも謎なのが「変な棒」である。
あれ…なんのために持ってるの? 飾りにしては地味すぎるし…。
そう、笏(シャク)と呼ばれるあの棒はただの飾りではない。実はいろんな使い道があって、平安貴族の殿方はみんな重宝しているのだ! 今回はその棒、「笏」についての雑学をご紹介しよう。
【歴史雑学】平安時代の貴族が持っている棒「笏(シャク)」とは?
【雑学解説】「笏」はスゴくいろんなことに使われていた
「平安貴族が持っている笏」と聞いて、あまりピンとこない人もいるかもしれない。
そういう人は、おじゃる丸をイメージしてもらえばわかりやすい。
実はそんなオチでした(桃ゼリー好きぴ)
おじゃる丸調べたらまだやってるらしい、、、1998年放送開始みたいなのでこのビジュで22歳、、、 pic.twitter.com/SvTiR1UsgI— 宮 (@a_kkyy) August 26, 2020
うん、たしかにようわからん棒持ってる。雛人形の男雛や、神社の神職の方も持っているこの笏という棒は、その昔は貴族の御用達アイテムだったのだ。
笏の起源は中国にあり、元来は役人がメモを書くために携帯していたものである。
周王朝の初期(紀元前1000年ごろ)、当時の覇者・武王が臣下たちの殺伐とした空気を鎮めるため、剣の代わりに持たせたのが始まりだといわれている。日本には6世紀初頭、奈良時代に伝来しているぞ。
笏という字はもともと「コツ」と読む。しかしそれだと「骨」と読み方が同じであるため縁起が悪いとされ、日本では「シャク」と呼ばれるようになった。
読み方の由来に関しては、
- 柞(ははそ)という木で作られていたため、「柞」を音読みして「サク」、それが転じて「シャク」になった
- 長さが1尺ほどだったので「シャク」になった
などの諸説がある。
日本での笏の使い方
日本に笏がやってきたのは719年のこと。当初は朝廷で式典を行う際、官職の人が、式次第を忘れないための笏紙(しゃくし)というメモを笏の裏側に貼り付けて利用していた。
「笏をカンペにすれば、いとよろしじゃね?」
…なんて言葉が飛び交っていたかはわからないが、中国の役人の使い方に準じて使っていたわけだ。
しかし偉い官職が持っているからか、笏は次第にカンペではなく、儀式に参加する際の権威付けの意味を持つようになっていく。
大宝律令、延喜式などの法律でも、「重要な儀式に参加する者は笏を持つこと」と義務付けられ、それなりの立場の者にとっては必須のアイテムと化していくのだ。
当初は身分によって笏の種類が決められており…
- 位の高い人(五位以上)…象牙製
- 位の低い人(六位以下の役人)…木製
となっていた。
位階で貴族とされるのは象牙製を持てる五位から。儀式に参加している人でも、笏の違いで貴族であるか否かを見分けることができたということだ。…といっても、当時の日本では象牙の入手が難しく、実際はほとんどの人が木製を使っていたんだけど。
これが平安時代、鎌倉時代になると以下のように変化していく。
- 礼服のとき…象牙製
- 普段…木製
フォーマルとカジュアルで使い分けるなんて、まさにアクセサリー感覚だ。木目や色合いをオシャレとして楽しんでいたりして…? ちなみに天皇と上皇は常に象牙製である。
このほか、形にも規定があり…
- 天皇・上皇…上下とも四角
- 臣下の貴族…上下とも円形
- 神職…上が円形で下が四角
- 祝い事…上が四角で下が円形
という風になっていた。材質だけでなく、形でも身分を見分けられたのだ。
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イケてる「笏(シャク)」の使い方・番外編
常に携帯しているとなれば、いろいろな使い道を考える人が出てくるもの。上で挙げたほかにも、貴族の笏はほんとに多様な使い方がされているぞ!
靴ベラ
笏のあの形状といい長さといい…見た目はまんま靴ベラである。案の定、使い勝手がよかったらしく、靴ベラとして使う人も多かった。…権威付けとはなんのことやら。
人を呼ぶときに
貴族が人を呼ぶときには、シャクを使って招く。これは使い道というより、単にいつも手に持っているからじゃないのか…?
手で「おいでおいで」とするより格好がつくような気もしないではない。
お辞儀の代わり
夜道で人とすれ違ったときには、笏を打楽器のように叩いて鳴らす。この合図がお辞儀の代わりになっていた。当時の夜道は街灯もなく真っ暗なため、会釈しても見えないからだ。
個人的に「こんばんわ~」と声を出したほうがわかりやすい気がするのだが…。
楽器
音を鳴らす用途で使われだせば、楽器の役目も果たすようになっていく。貴族が宴会で集まったときには、他人の笏を借りてふたつで打ち鳴らし、即席の楽器として楽しんでいたという。
酔っぱらったサラリーマンがネクタイを頭に巻くように、酔えば正装の一部も芸の道具に早変わりだ。
のちに普通の笏よりも分厚く、よりいい音が出る演奏用の笏も作られるようになる。楽器として使う笏は「笏拍子(しゃくひょうし)」と呼ばれているぞ。
武器
まさか笏を使ってチャンバラをしていたわけではないが…言い合いの喧嘩になった際、笏で相手を殴る人もいた。手に棒を持った人が逆上すると危険である。
【追加雑学①】神職にとっての笏とは
神職が笏を持っているのは、神職もまた、貴族に同席して神事などの儀式に参加する身分だからだ。
そして貴族文化など無くなってしまった現代でも、神職の方々は笏を持ち続けている。これは笏による権威付けという背景から、神職としての自覚を持つため。神事に臨む身を引き締める意味で持っているのである。
そのため神職の方々は笏へのこだわりが強く、社殿用、外祭り用など、別々のものを用意する人もいれば、自分で木を削って作ってしまう人までいるという。
平安時代などの笏に使われる木は主にイチイや桜などとされていたが、現在はくぬぎや杉、ひいらぎやひのきなど、使う木材も相当に多様化している。神職の装いとしては、かなりオリジナリティを出せる部分でもあるんだな。
また貴族文化では笏は男性ならではのものだったが、最近は女性の神職でも笏を持っている人が多い。規則では「男性は笏、女性は扇」とされているものの、あくまで"通常は"という意味で、女性が笏を持つことをOKとする規則も別にあるためだ。
女性の神職の方でも、「笏のほうが身が引き締まる」といった感覚があるのかもしれない。たしかに扇子は神職じゃなくても持っているし…。
以下の動画で現役の神主さんが、神職にとっての笏を解説してくれている。
子どもから見れば「神職の格好=おじゃる丸」。やっぱりそう言われること多いんだ…。
【追加雑学②】聖徳太子は笏なんて持っていない
笏を持った肖像画が有名な人物といえば、まず聖徳太子(=厩戸皇子、うまやどのみこ)が思い浮かぶ。
左右に子供(弟と息子)を引き連れ、達観した顔で佇む姿はもはやおなじみ。昔の1万円札にも、笏を持った聖徳太子が描かれている。
しかしこの描写は聖徳太子の生きた時代背景を考えると、明らかにおかしい。
聖徳太子が誕生・活躍したのは飛鳥時代のこと。しかし貴族が笏を持つようになったのは奈良時代で、そこには100年ものタイムラグがある。よって本来、聖徳太子が笏を持っているはずはないのだ。
聖徳太子の肖像画は後世の人物が想像で描いたもの。その際より偉く見えるよう、権威の象徴である笏を持たせたというわけだ。
しばしばその実在を怪しまれる聖徳太子。こんな盛りまくりの偶像を残されていたら、もっと怪しまれてしまうよね…。
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「笏(シャク)」の雑学まとめ
今回は大昔の貴族・神職が使っている笏についての雑学を紹介した。
当初はカンペ、のちに権威付けと意味を変えていった笏。江戸時代ぐらいまでの偉いさんの肖像画は、たしかに笏を持っているものが多い。
そしてそれだけ長いあいだ使われていれば、楽器や靴ベラなど、いろんな使い道を見出すのも道理である。だって、権威付けだけで持っているなんてちょっともったいないじゃん。
…ただ神職の方の笏に関しては、何か道具に使うと途端に罰当たりに思えてくるから不思議だ。