本を好きな方なら一度は聞いたことはないだろうか。ロシアの小説家・ドストエフスキーという名を。
2007年には、亀山郁夫が訳した『カラマーゾフの兄弟』がベストセラーになるなど、ドストエフスキーの人気は現在でも非常に高いものがある。
じつはこの作家は、ある病に悩まされていた。突然、発作におそわれ意識を失う、癲癇(てんかん)を患っていたのだ。病は作家に多くの苦難をもたらした。
そのひとつに記憶力の減退がある。この持病によって、ドストエフスキーは「妻の名前」を忘れてしまうほど記憶力が衰えたという。今回はそんなドストエフスキーにまつわる雑学を紹介しよう。
【歴史雑学】小説家ドストエフスキーは妻の名前を忘れた?
【雑学解説】不屈の精神力で小説を書き続けたロシアの作家・ドストエフスキー
19世紀のロシアの小説家・ドストエフスキーは、突然、発作におそわれ意識を失う「癲癇(てんかん)」を患っていた。この病は、生涯彼を苦しめることになる。
癲癇がもたらす症状のひとつに、記憶力の減退がある。こんなエピソードが言い伝えられている。2番目の妻・アンナとの婚約当時、自分が執筆した小説の登場人物を、ドストエフスキーはすっかり忘れてしまったという。
また、長編小説『悪霊』を執筆していた際に、作中に登場する人物の名をたびたび忘れてしまうこともあった。そのため、彼は自分で書いた原稿を最初から読み直す必要に迫られたというのだ。
その症状は深刻を極め、ドストエフスキーは、妻のアンナの名前まで忘れてしまうほどだったという。そうした病におそわれるなかでも、彼は後世に名を残すほどの偉大な小説を書いたのである。
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【追加雑学①】ドストエフスキーは絶望と苦難に見舞われた生涯をおくった
ロシアの文学と聞くと、ドストエフスキーに代表されるような、暗い内容の小説をイメージする方も多いのではないだろうか。ドストエフスキーの著作は、社会に居場所を見つけられず、絶望にうちひしがれる主人公を描いたものが多い。
彼が描く小説の主人公のように、当のドストエフスキー本人も、絶望や貧困に悩んだ人生をおくった。小説『賭博者』を執筆した際の経緯をご紹介しよう。
『賭博者』は、1866年に出版されたドストエフスキーの長編小説である。ルーレットに取り憑かれ、人々が身を亡ぼしていく賭博の狂気と恐怖を描いたものだ。この小説は、ドストエフスキー本人の実話が下敷きになっている。
ドストエフスキーの恋人だったポリーナという女性が、別の男と関係を結んでいたことが発覚したため、冷却期間を置くために、2人はイタリア旅行へ出かける。
だが、ドストエフスキーは彼女への恨みや腹いせに、旅先でルーレットに打ち興じた。そのときの経験が『賭博者』の下敷きになっているという。
だが、ドストエフスキーは、転んでもただでは起きない人物である。『賭博者』は、口述筆記によって執筆されたが、その速記者を務めた女性アンナと後に結婚することになったからである。
【追加雑学②】ドストエフスキーは死刑判決を受けたことがある
ドストエフスキーは若い頃、死刑判決を受けたことがあるのをご存知だろうか。それは、彼が反体制の社会主義サークルへ入会したため、当局に逮捕された際のことである。
彼は裁判で死刑を言い渡され、銃殺刑を受けることになっていた。だが、刑が執行される直前、皇帝・ニコライ1世から特赦(とくしゃ)が与えられたことで死を免れ、ドストエフスキーはシベリアへ流されることになった。
彼が減刑されたのは、反体制思想にふたたび染まらないために行われる、仕組まれた処置だったといわれている。シベリアに流刑された経験をもとに執筆されたのが、長編小説でありノンフィクションともいえる『死の家の記録』である。
その後、ドストエフスキーは『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』といった小説を発表し、世界的な評価を確立していくことになる。
雑学まとめ
以上、ドストエフスキーの持病や生涯についての雑学をご紹介してきた。小説を執筆した本人も、彼の小説の主人公と同じように苦痛と貧困に苦しんだ境遇にあった。
また彼は、反体制思想の社会主義の活動をしていたとして、死刑判決まで受けている。こうした経緯を考えると、彼の作家としての生涯は、その名声とは裏腹に、まさに絶望と苦難の生涯を送ったことになる。
だが、そうした苦い経験と絶望にあえいだ体験は、小説家として大きく飛躍するための肥やしとなったことは間違いないだろう。その経験は、決して無駄ではなかったのである。
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