インド独立の父として知られるマハトマ・ガンディー。イギリスの植民地だったインドの独立を目指して、「非暴力・不服従」運動を繰り広げた人物である。皆さんも、ご存知の方が多いだろう。
ガンディーは生涯をどのように閉じたか、ご存知だろうか。彼はインドとパキスタンの宗教上の対立を背景にした争いの渦中で、裏切り者として暗殺されたのである。78歳だった。
この記事では、インド独立の父として知られる、ガンディーの雑学についてご紹介する。
【歴史雑学】ガンディーは暗殺されている
【雑学解説】ガンディーはヒンドゥー教徒に暗殺された
イギリスの植民地からのインドの独立を目指して、「非暴力」や「不服従」運動を繰り広げたマハトマ・ガンディー。彼は同じヒンドゥー教を信仰するグループによって暗殺され、その生涯を閉じたのである。
その経緯を以下にご紹介していこう。ガンディーが政治活動に目覚めたのは、イギリスの植民地だった南アフリカで弁護士活動をしていた際の出来事にあった。
南アフリカでは当時、アパルトヘイト政策のもと、白人優位の人種差別政策がおこなわれていた。ガンディーはある日、列車の車内で人種差別を体験したことから、「インド人」としての自覚に芽生え、その後の政治活動に関わることになる。
インドへ帰国後、宗主国・イギリスからの独立を目指すために、「非暴力・不服従」の運動を繰り広げた。またイギリス製の綿製品に対抗するために、インドの綿製品を着用することを国民に呼びかけ、ガンディー自らが糸車を廻したことは有名なエピソードである。
独立への気運は、第2次世界大戦後に一気に熱をおびた。終戦をきかっけに、インド全体に独立運動の気運が巻き起こり、イギリスはついにインドの独立を受け入れたのだ。1947年、こうしてインド連邦が成立する。
だが、それもつかの間、ヒンドゥーとイスラム教の宗教上の理由を背景に、インドからパキスタンが独立する事態に発展した。そして最悪の事態をむかえる。イスラム教を信奉する住民の暴動をきっかけに、インドとパキスタンのあいだで戦争が勃発したのである。
ガンディーは宗教的な融和を目指して、パキスタンへの融和の姿勢を見せていたが、その矢先、ヒンドゥー教を信奉するグループによって、インドの首都・ニューデリーで暗殺された。78歳だった。
犯行グループによれば、ガンディーの政策はイスラム教を信奉する人々への裏切りと映ったことにより、凶行におよんだという。実行犯を含め犯行にかかわったグループは、その後に捕まり、裁判にかけられた後に、2人の人物が処刑された。
ガンディーは宗教上の対立を背景にした国家間の争いの犠牲者になった。宗教的な立場を超えて、宥和(ゆうわ)政策を試みたその偉大な精神は、無情な銃弾の前に露と消えたのである。
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【追加雑学①】ガンディーは日本人からもらった「見ざる言わざる聞かざる」の三猿の像を大切に持ち歩いていた
ガンディーが生涯にわたって大切に身につけていたものをご存知だろうか。それが日本でおなじみの「見ざる・言わざる・聞かざる」で知られる三猿の像である。日本では、日光東照宮などに飾られている像である。
経緯は定かではないが、ガンディーは、この三猿の像を日本人から贈られたとされる。ガンディーはこの像をつねに身につけ、自らを「悪を見るな・悪を聞くな・悪を言うな」と戒めたといわれる。
インドの教科書などには「ガンディーの三猿」として掲載されるほど有名だという。どのような経緯でもらったかは不明だが、日本にゆかりのある三猿の像をガンディーは大切に持っていたことは確かである。偉大な人物のそばには、日本にゆかりのある置物が置かれていたのである。
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【追加雑学②】ガンディーの生誕した10月2日は、国連によって「国際非暴力デー」に制定されている
国内外の協会や団体では、物事や人物にゆかりのある日付を記念日に制定している。ガンディーも例外ではない。毎年10月2日は、国連によって「国際非暴力デー」に制定されているのだ。
これは、10月2日がインド独立運動の指導者だったガンディーの誕生日にちなんで設けられたものである。国連の広報HPによると、10月2日を非暴力デーと定めたのは「教育や国民意識を高める運動を通して非暴力のメッセージを広める」ために創設されたとされる。
また「非暴力の原則の普遍的意義」と「平和・寛容・理解および非暴力の文化を実現する」ための意思を再確認するためでもあるという。
インド国内では、この日は「ガンディー記念日」として国民の休日に制定されている。こうした例からも分かるように、いまもなお、世界中でガンディーの精神やその功績が称えられているのだ。
雑学まとめ
ガンディーの生涯と、彼にまつわる雑学をご紹介してきた。宗主国イギリスからの独立を目指して、インド国内で非暴力運動を展開したガンディー。しかし、宗教的な対立を超えてインドとパキスタンの争いを食い止めようとした彼の命は、銃弾によって奪われてしまった。
だが彼の足跡と偉大な精神は、多くの人々の指針となり、後に黒人の公民権運動をアメリカで繰り広げたキング牧師や、ダライ・ラマ14世などに多大な影響をおよぼした。暴力が絶えない世界にあって、彼の足跡と精神は、いまだ大きな輝きを放っていることは間違いない。
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