生まれる子どもが減ることと、人の寿命が延びること。このふたつが同時進行することでおこる少子高齢化。現代の日本の問題のひとつである。
みなさんはかつて日本に、生きているあいだに55人の子をもうけた男性がいたことをご存知だろうか。一夫一婦制の現代の日本で、もしこんな人がいたらいろいろ問題があるのだが、少子化の問題解決にはかなりの貢献者になる…かもしれない。
今回の雑学では、日本一の子だくさんであった、ある男性に注目しご紹介していくぞ!
【生活雑学】一番子供を作った日本男性の子供の数は55人
【雑学解説】側室の数は40人以上!?28男27女・大家族徳川さんチ!
まず、現代の日本で子だくさんの大家族といえば、テレビで放送されている有名な大家族「石田さんチ」を思い出す。しかし、あの石田さんチでも子どもの数は7男2女。
9人でもかなり多いな、と感じる人数だが…徳川さんチの家斉パパの子どもは、なんと28男27女…!! 比べ物にならない子だくさんである!
そんな家斉は、先の将軍・徳川家治(いえはる)が急死したことから15歳という若さで将軍になった。そこから徳川の歴代将軍の中で第1位の50年という長い期間を将軍として過ごし、亡くなるまでのあいだに生まれたのが男女あわせて55人だったのだ。
しかし、悲しいことにこんなにも生まれた家斉の子のなかで、成人したのは半数ほどであったという。それは、昔の乳児の死亡率の高さが影響している。
現代とくらべると医療が未発達な江戸時代では、インフルエンザやおたふく風邪・はしかなどの病が流行ると、小さい子どものようなからだの弱い者から次々亡くなっていったのだ…。
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【追加雑学①】なぜそんなに子どもを作ったのか?その目的
17歳から55歳になるまでほぼ毎年子どもが産まれていたという家斉パパ。彼はなぜこんなにも子どもを作ったのだろう。
先述したとおり江戸時代は、「子どもが大人になる前に死んでしまう」ことが多かった。将軍という立場上、子が少なく、成人する前に万が一にも皆亡くなってしまうと、徳川家の後継ぎ問題が発生してしまう。
家斉は、将軍になるにあたり「産めや増やせや」と、世継ぎをたくさん残すことを教育されていたそうだ。家来たちのプレッシャーにも耐えながら、積極的に子どもを作り、その結果として55人残すことになったのだ。
【追加雑学②】当時としては長生き!67歳まで生きた家斉
家斉が生きた江戸時代の日本人は、平均寿命が30~40歳くらいであった。そんな時代に家斉は55歳になるまで子どもをつくり続けた。そんな彼の大好物といえば、ショウガであったという。
「からだを温め、血流をよくする」作用のあるショウガが好きすぎて毎日食べていたよう。それが55人の子どもを作る元気のみなもとになった、といわれている。そのおかげもあってか、家斉のからだは頑丈で、当時としては長生きの67歳まで生きることができた。
【追加雑学③】40人ともいわれる妻たちとの生活は?
現代人にはとても想像のつかない、40人の妻たちとの生活。家斉がどのように暮らしていたのか気になる人もいるだろう。
家斉のお相手には、まず正室である広大院(こうだいいん)、そして側室が24人、さらにその使用人として働く女性たちがいた。そのすべてが江戸城本丸の居住区域である「大奥」で暮らしていたという。
徳川家の安泰のために子を増やすことを第一に、女性たちのもとへと行ったり来たり。大変おさかんな生活を送っていたという。
雑学まとめ
55人もの子をもうけた徳川家斉にまつわる雑学、いかがだっただろうか。家斉のお相手の40人の女性たちも、ひとりひとり命をかけて出産に臨んでいたんだろうな…。医療の未発達な時代に、不安も多くあったにちがいない。
現在のわたしたちには出産にあたり、医師たちのしっかりとしたサポートがあることを感謝しなければ。…家斉パパのように55人まではいかないまでも、日本がもっと子を産み・育てやすい国になればいいのに、と願わざるを得ない。
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