あなたは「盛り塩」と聞けば、どんなイメージをもつだろうか? もしかしたら、「厄除け・魔除け」のイメージをもっている人が多いのではないだろうか?
私もその1人だ。よくホラーもので、結界のような感じで盛り塩を置く場面を見るので、「盛り塩=魔除けのためのお清め」というイメージが強かった。
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なにを清める?お通夜やお葬式のあとに塩をかける理由とは?
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しかし、もともとは盛り塩はお清めのものではなかったのだ!今回は、知っているようで知らない「盛り塩」の雑学を紹介しよう。
【歴史雑学】盛り塩は、お清めではなく客寄せのためのおまじない
【雑学解説】皇帝に選んでもらうための秘策!
盛り塩の起源は諸説あるが、その1つに中国起源説がある。
時代は「秦(しん)」の時代にさかのぼる。「秦」といえば、日本史で「秦の始皇帝」という言葉を習ったのを覚えているだろうか? この「秦の始皇帝」が、盛り塩に大きく関わる。
始皇帝は、当時の都だった咸陽(かんよう)というところに、お世話係の女性を3,000人ほど住まわせていた。そして、始皇帝は時間があれば、牛車に乗って女性の家へと訪れることがあった。
相手は皇帝。女性たちは自分たちのところに来てほしくて、始皇帝に様々なアピールをした。ある女性は着飾り、ある女性は音楽を奏でて始皇帝を誘ったのだ。
しかし、都に住む女性は3,000人もいる。そんなに多くの女性がいては、もちろんなかなか始皇帝に来てもらえない女性もいるものだ。始皇帝に来てもらえない女性の1人は、どうすれば始皇帝が来てくれるのか考えた。そこで思いついたのが、盛り塩だ。
女性は盛り塩を作って、家の前に置いた。すると、始皇帝の乗った車を引く牛が、盛り塩の置かれた女性の家に一目散! 牛は盛り塩を夢中になめて、その場から動かなくなってしまった。
「牛が動かないなら仕方がない…」
こうして、始皇帝はその女性の家を訪れたのだった。
とはいえ、牛が動かなくて仕方なく…ということで、始皇帝が「この女性の家に行こう」と進んで訪れたわけではない。正直「それでいいのか…?」と女性に聞きたくなる話だが、多分それでも始皇帝が来てくれるのなら良かったのかもしれない。
この「なかなか来てくれなかった始皇帝が訪れてくれた」という話は中国全土に広がり、やがてこの話が「これまで来なかった人が来てくれる」という考えに転じて、客寄せのおまじないとして広まった。
これが奈良時代あたりに日本に渡ってきて、日本でも客寄せのおまじないとして、店先に盛り塩を置くようになったというわけだ。
「盛り塩」の起源には諸説あるものの、1人の女性の思い付きから、ここまで民間的な信仰になるとは…。アイデアがどう転ぶのか分からないものだ。
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【追加雑学】なぜ牛は塩をなめるのか?
今回紹介した雑学では、牛は女性が置いた盛り塩をなめて、動かなくなってしまった。どうして牛は塩をなめたのだろうか?
牛は草食動物だが、主食である草を食べているだけでは塩分を補給できない。大人の牛に必要な塩分は、1日50~80グラムだ。人間が大体7~8グラムが必要な塩分だから、それを考えるとかなりの量を必要としている。
そのため、牛は塩分を補給するために、岩塩や塩分を含む土を食べることもある。生息している場所によっては、山を越えて塩分のある場所へ移動することも。
1日に多くの塩分を取らなければいけない牛にとって、盛り塩はまさに宝の山だった。そのため、夢中で塩をなめてしまい、なかなか動いてくれなかったのだ。
おそらく、盛り塩を置いた女性はそのことを知っていたのだろう。そうだとしたら、なかなか賢い女性である。
動画で盛り塩の作り方を見てみよう!
現在でも客寄せのおまじないとして親しまれている盛り塩。どんな作り方なのか、動画で見てみよう!
水と混ぜて少し固めると、長持ちするようだ。どうしてあんなに綺麗な円錐形になるのか不思議だったのだが、水がポイントだったのか。
雑学まとめ
盛り塩についての雑学をご紹介してきたが、いかがだっただろうか。盛り塩は、もともとは始皇帝を呼び寄せるための工夫だった。それが転じて、「なかなか来ない人を呼ぶ=客寄せ」となって、今でも店先に盛り塩を置く習慣が続いている。
多くの塩分を補給しなければならない牛の特性を生かした、賢いアイデアだ。知らなければ思いつかない方法だろう。
女性が始皇帝を呼び寄せたように、誰か人を呼び寄せたいとき、おまじないとして盛り塩を置いてみるのはどうだろうか?