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太宰治は芥川賞が欲しすぎて超長文の手紙を書いた。その長さ4m。

雑学カンパニー編集部

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芥川賞がめちゃめちゃ欲しかった太宰治

太宰治

『走れメロス』『葉桜と魔笛』『人間失格』など、文学史に残る作品を数多く執筆した太宰治。作品と同時に、その人生が波乱に満ちていることもよく知られている。

確認されているだけでも、4度に渡る自殺や心中。婚約者の居る身で駆け落ちをし、その相手とは別の女性と心中を図るという情緒の不安定っぷり。絵に描いたようなダメ人間である。

そんな太宰が欲しくて欲しくて仕方なかったもののひとつが、現代でも栄誉とされる芥川賞だ。受賞したいがために太宰は手紙を書くのだが…その内容もまた、問題ありだった

いったいどんな手紙を、誰に送ったんだ…? 今回はそんな、太宰治の奇行のひとつを雑学として紹介しよう。

【歴史雑学】太宰治は、芥川賞をもらうために懇願の手紙を書いた

秀吉くん
ほんとこの人は話題に事欠かない人っすよねえ…
信長さん
手紙の長さは巻紙4mぶんもあったそうだ。
秀吉くん
長っっっっ!!!!!

【雑学解説】太宰治のガチすぎるお願い「芥川賞を私に下さい。」

太宰治は川端康成に逆ギレした

ちょっとおちゃめな太宰さん

現代でも、多くの作家たちが羨む芥川賞。この賞を欲しがった太宰治はなんと、巻紙4mぶんにも渡る熱烈(病的…?)な懇願の手紙を、選考委員だった作家・佐藤春夫に宛てて送った。

佐藤は選考委員だったほかに、太宰の才能にいち早く気づき、激励した人物だった。1935年に佐藤の引き立てでノミネートされた『逆行』が受賞にいたらず、「今度こそは」という思いで太宰は筆を執ったわけだ。

しかし何を書いたらそんな嘘みたいな長さの手紙が出来上がってしまうんだ…? これがまた「懇願」というのにふさわしい内容で、なかなかに重いメッセージなのだ。

「芥川賞はこの1年私を引きずり回し、私の生活の全部を覆ってしまいました」

…という、昨年受賞できなかった悔しさに始まり、「昨年はこんな作品を書きました」「こんな作品の構想もまとまっています」という、俺頑張ってますアピール。

締めくくりには「第二回の芥川賞は、私に下さいまするやう、伏して懇願申しあげます」「私を忘れないで下さい・私を見殺しにしないで下さい」とった類の言葉が延々と綴られる。

…なんか怨念とか込められてそうで普通に怖い。

結局、怖い手紙を送った甲斐もなく、太宰治が芥川賞を受賞することはなく、その後いかに懇願しても候補にすらされなかった。完全に逆効果である。手紙を書く労力をもっと作品の執筆に向けていれば、あるいは…?

受賞できずに逆ギレする太宰治

芥川賞にノミネートされたときの太宰のエピソードとしては、受賞に反対した審査員のひとり、川端康成に逆ギレしたというものもある。

落選した年の雑誌『文藝通信』10月号にて、川端に対し「刺す。さうも思つた。大悪党だと思つた。」などという、超物騒な文章を発表したのだ。この人やっぱり怖い…。

しかし、このとき川端は「作者目下の生活に厭な雲ありて、才能の素直に発せざる憾み(うらみ)あった」と、作品ではなく人間性を理由に受賞を反対している。

そう思うと「作品には関係ないだろう」という太宰の言い分もわからなくはないし、一概に逆ギレとは言えないのか…?

ちなみに第2回以降ノミネートされなかったことに対しては、佐藤に対しても「裏切者! 賞獲ることほぼ決まってるって言ったくせに!」と逆ギレしている。…うん、こっちは完全に逆ギレである。

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【追加雑学①】2015年・芥川賞懇願の手紙が発見される

太宰治の芥川賞懇願の手紙

太宰治の芥川賞懇願の手紙

太宰治から佐藤春夫への手紙の内容は、そもそもは1936年に刊行された佐藤の実名小説『芥川賞』のなかで紹介されていた。

しかし引用のみで実物が公開されておらず、書かれていることも病的すぎることから「作り話なんじゃ?」としばしば言われてきたのだ。

ところが2015年3月、実践女子大学の近代文学准教授・河野龍也氏佐藤の親族が保管していた品のなかから、現物を発見。同年、和歌山県新宮市にある佐藤春夫記念館にて公開される流れとなった。

こうして太宰の送った病的な手紙がノンフィクションだったことを、世に知らしめたわけだ。ちなみに太宰から佐藤へ送られた手紙はこのほかにも2通見つかっている。

公開の際、記念館の館長は、「手紙も太宰治の作品の一つだと思えてくる。」と話したという。

うん、ここまで来るともう作品でいいよ。ある意味小説より興味そそられるし。でもこれ…本人としては恥ずかしい以外のなにものでもないぞ。

信長さん
やっぱ終活って大事だよね…

和歌山へ訪れた際はぜひ、手紙の実物を見に行ってみよう!

【追加雑学②】芥川賞が欲しかったのは借金を返すため?

太宰治がここまで芥川賞を欲しがったのは、もちろん賞の栄誉のためである。

なにより彼は芥川龍之介を敬愛しており、学生時代はノートに似顔絵を描いたり、何度も何度も「芥川龍之介」と名前を綴っていたというエピソードもある。直接講演会を聞きに行ったことだってある。

このように、彼の芥川賞への憧れは本物だ。ただ…病的な手紙を送るにいたった理由は、当時の借金苦も関係している。

1935年の太宰というと、腹膜炎の手術をきっかけに服用しだした鎮痛剤パビナールの中毒になっており、薬代がかさんで多額の借金をしていた。さらに同年、学費が払えずに大学も除籍になっている。

太宰はとにもかくにも賞金が欲しくて、あんな手紙を送ったわけだ。人間、追い込まれると何をするかわからないとはよく言ったものである。

ちなみに度重なる自殺未遂もこのころから始まっている。これも芥川龍之介が睡眠薬自殺したことに影響を受けているとかいないとか。

なんか憧れ方間違ってないか…。川端康成が問題ありとしたのも仕方なく思えてくる。

太宰治の借金踏み倒しテクニック

借金についてはこんなエピソードもある。

あるとき、友人が借金を返すよう、催促の手紙を太宰に送ると、その返事は、太宰の妻から届いた。

その内容は「お金を借りて本当に申し訳ない。しかし今は本人に連絡が取れない。必ず返すので暫く待ってほしい。」というものだ。

しかし、この手紙を書いたのは、妻になりすました太宰治本人。なりすまし詐欺である。

手紙を無視して直接取り立てに来られても困るし、居ないことにしておけばその心配もないと? なるほど、よく考えたものだ。

…返す気ないよな。

【追加雑学③】2020年、太宰治の孫・石原燃さんが芥川賞候補にノミネート

芥川賞をめぐってさまざまな騒動を起こした太宰治にとって、この賞はまさに因縁の賞ともいえる。

不思議な縁というのは続いていくもの。なんと2020年、第163回芥川賞候補に、太宰の孫である作家・石原燃さんの『赤い砂を蹴る』がノミネートされたのだ!

石原さんの母は、太宰の娘・津島佑子さん。1939年に再婚した二人目の妻・美知子夫人との子である。

何を隠そう、津島佑子さんも著名な作家だ。何か国語にも翻訳された作品が世界へ出回り、パリ大学に日本文学の講義で招致されるなど、ワールドワイドに活動した人だった。

津島さんは2016年に肺がんで亡くなっており、その娘である石原さんの『赤い砂を蹴る』にも、主人公の母親ががんで亡くなる描写が登場する。自身の経験を投影した作品といえるだろう。

残念ながらこの作品は受賞にはいたらなかったが、兼ねてから演劇の脚本を手掛けてきた石原さんとしては、初の小説であり、ノミネートされたこと自体が快挙だ。

着々と受け継がれてきた太宰の作家としての血。その子孫が芥川賞への切望を晴らす日も近いかもしれない。

雑学まとめ

太宰治と芥川賞の雑学

太宰治の銅像。左は、幼少期に子守をしてくれたという越野タケ

今回は、太宰治の長すぎる手紙…そして芥川賞についての雑学を紹介した。

4mにも渡る懇願の手紙を、審査員の佐藤春夫に送った太宰。届いたとこを想像するだけで怖いし、とても推薦する気にはなれない気がする…。

作品がダメなわけじゃないし、太宰がもうちょっと空気を読めていたら、芥川賞の受賞ももしかするとあり得たのかも?

とはいえ、こういうぶっ飛んだ逸話があるのが太宰治の醍醐味なのだ。『走れメロス』の裏話なんかもめっちゃおもしろいぞ。

秀吉くん
このゲスエピソードっすね…

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