「ハーメルンの笛吹き」の童話は、ご存知の方も多いだろう。
ドイツのハーメルンに繁殖していたネズミを退治した笛吹きの男に、「退治したら報酬を出す」と約束していた町の人たち。その約束を破ったばかりに、町中の子供たちが連れ去られてしまうという、ちょっぴり恐ろしい童話だ。しかし、ネズミや子供たちを、笛の音色で呼び寄せてしまう男の能力には、子供心をくすぐられるものがある。
童話では町の人たちが謝って報酬を払うと、子供たちが解放されるという結末に修正されているものも多い。しかし気になるのは、大元の話が「子供たちはいなくなってしまった」で終わっていること。
単に童話のために作ったものなら、大元が「いなくなってしまった」で終わっているのはあまりにも不自然だ。それもそのはずで、どうやらこの「ハーメルンの笛吹き」の話は実話を元に作られた話だという。
つまり実際に、ハーメルンの町で子供の集団失踪事件が起こっているのだ! 今回はそんな驚きの雑学をご紹介しよう!
【歴史雑学】グリム童話「ハーメルンの笛吹き」は実話だった?
【雑学解説】実際に130人の集団失踪事件があったと記録するステンドグラスが残されている
1300年頃の話。ハーメルンにあるマルクト教会に、とあるステンドグラスが設置された。ステンドグラスには色とりどりの衣装を着た笛吹きの男と、その後をゾロゾロとついて歩く子供たちの姿が描かれていた。
ステンドグラスには説明文も付けられている。説明文には「130人の子供たちが笛吹きの男に連れ去られたこと」・「日時は1284年6月26日であること」が記載されているのだ。
連れ去られた詳細な人数や日時が記録されているところからして、実際に起こってしまった痛ましい事件を忘れないようにステンドグラスに残したのでは…と見られているということだ。
ちなみにハーメルンの町の人たちが、ネズミの繁殖に困っていたという記述は当時のものにはない。つまり笛吹き男のネズミ退治に関しては、童話にする過程で後付けされたものだと考えられる。
…それって実際は完全に誘拐目当てだったということではないか…。
ちなみに、ステンドグラスは1660年頃に一度壊されている。今残っているものは、文献を元に復元されたものだという。「じゃあ大元の記録は残っていないんじゃないか」という話になるが、日時などが詳細に残されているのはやはり不可解だ。
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【追加雑学】子供たちは新天地開拓のため、自らの意志で出ていった?
「ハーメルンの笛吹き」が実話だと考えて、実際に一人の男が130人もの子供を連れ去るというのはさすがに考えにくい。これに関しては様々な仮説が唱えられてきたが、今最も有力なのは「子供たちは新天地開拓のため、自らの意志で出ていった」という説だ。
13世紀のハーメルンは人口過多の傾向にあり、親から家や財産を継げるのは長男だけ。それどころか後の兄弟は、故郷に残っていても職にあぶれてしまうような状況にあったという。
そこへやってきたのが、東ヨーロッパの植民地への移民を募集する植民請負人だった。1227年にデンマークとの戦争に勝ち、東ヨーロッパ圏の支配権を得ていたドイツは、その土地へ移り住む者を探し回っていたのだ。
「故郷に残っても自分に未来は残されていない…ならば新しい土地でやり直すのも悪くない」そう考えた若者たちが、この植民請負人についていったというなら、130人が一斉にいなくなったという点にも合点がいく。
言葉巧みに若者たちを誘い出す植民請負人の姿を、笛の音色で子供たちを誘い出す男にたとえたわけだ。なるほどそういわれると、事実にインパクトをもたせた秀逸なデフォルメだ。
実際に、ドイツから東へ足を伸ばしたポーランドの北西部などには、ドイツ由来の名前をもつ村も存在するという。これはきっと、当時ハーメルンから出ていった若者たちが起こした村なのだろう。
雑学まとめ
今回の雑学はいかがだっただろうか。「ハーメルンの笛吹き」が実話だという話は、ステンドグラスに残された記録や、東ヨーロッパへの移民の話から考えて恐らく本当だ。しかし、それは恐ろしい誘拐事件などではなく、当時のハーメルンの厳しい時代背景を描いたものだろう。
若者たちが起こしたと考えられる村が未だに残っているのは、若者たちは移民となった先で強く生きていったということの表れでもある。そう考えると、「ハーメルンの笛吹き」はあながちバッドエンドだとも言い切れない。
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