五輪のスゴい人

最高のアスリート"ジム・ソープ"。死んだあとに金メダルを返還された悲劇

死んでから金メダルを返還されたジム・ソープに関する雑学

ジム・ソープ

4年に一度のスポーツの祭典として、毎回大いに盛り上がるオリンピック。現在では運営側の規定やルールも整備され、プロ・アマ問わず選手たちは気持ち良くプレーできていると思う。

しかし、今から100年以上前…近代オリンピックが開始された直後は、今とは全く違うルールや思想のもとで大会が行われていた。今では考えられない規定に翻弄された選手もいる。

ジム・ソープは一度金メダルを獲得するも、のちに没収され、彼が亡くなるまでそのメダルは返還されることはなかった。

今回の雑学記事では、オリンピック史における「負の遺産」と呼ばれているこのジム・ソープの悲劇についてご紹介する。

【オリンピック雑学】死んでから金メダルを返還されたジム・ソープ

アマチュアリズム思想によって金メダルを剥奪されたが、70年の歳月を経てようやく彼の遺族に返還されることとなった。

【雑学解説】世界最高のアスリートとして賞賛されたジム・ソープ。だが…

世界最高のアスリートとして賞賛されたジム・ソープ。だが…についてのトリビア

ジム・ソープ

ジム・ソープが活躍したのは1912年のストックホルムオリンピック。陸上十種競技と五種競技の選手として出場し、どちらでも金メダルを獲得した。

なぜこの金メダルが没収されてしまったのかを説明するためにまず、彼の経歴を紹介する。

ジム・ソープとは

1888年アメリカのオクラホマ州で、先住民(インディアン・ネイティブアメリカン)の子孫として生まれた。

本名は、先住民の言葉で「輝ける道」という意味のワ・ソ・ハク。しかしアメリカ政府に本名を破棄させられた彼は、ジム・ソープと名乗るようになった。

大自然の中で釣りや狩猟をしながら育ったジムは、幼いころからたぐいまれな運動能力をもっていたそうだ。

釣りや狩りをしながら…と聞くと、大型モンスターと戦って素材をゲットし装備を作るあのゲームを思い出してしまうのは私だけではないはず…!

まぁ実際は野生児のような生活をしていたのではなく、学校にも行っていたが勉強が嫌いで体を動かすこと以外に興味のない少年だったようだ。

そんな彼が最初に覚えたスポーツが野球。フェアプレーの精神と仲間とともにプレーする楽しさを知った。

18歳のとき、学校で走り高跳びの選手が誰も飛べなかった高さのバーを、彼はいとも簡単に飛んで見せた。これがジムと陸上競技の出会いである。

走り高跳びだけでなく、短距離走・ハードル・幅跳び・砲丸投げなどすべての種目で優秀な成績を収めていた。

あるときアメリカンフットボールの選手に声を掛けられ、今までやったことのなかったアメフトの試合を経験する。そこでもジムは、並外れた瞬発力とスピードで大活躍した。

いつの時代もクラスに一人はいるよね、こういうなんでもできる漫画の主人公のようなスーパーマン! そして、だいたいモテる。ジムもインディアンスクールでモテモテ(死語…?)だったかもしれない。

そして22歳のときに、ジムはアルバイトとして野球のマイナーリーグのチームでプレーする。1週間プレーすれば15ドルもらえるというもので、このようなアルバイトをやっている学生は当時たくさんいたそうだ。

数年後、彼は1912年に開催のストックホルムオリンピック、陸上十種競技と陸上五種競技の代表選手に選ばれたのだ。

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金メダル没収の理由

金メダル没収の理由についてのトリビア

ジムは過酷な競技といわれている陸上十種競技と五種競技で、どちらも素晴らしい成績を残し、2位に圧倒的な差をつけて金メダルを獲得。しかし、彼が金メダルを手にできたのは半年という短いあいだだけだった。

当時のオリンピックはアマチュア規定があり、プロ選手は出場してはいけなかった。その規定は1974年になくなったが、当時はとても厳しいものだったという。…これが、ジムの金メダルが剥奪された理由。

彼は、「マイナーリーグでかつてプレーしていた元プロ野球選手」と見なされてしまったのだ。もちろん、ジムはそんな規定のことは知らなかったし、周りの人もみんなやっていた。

単にアルバイトをしただけなのにプロ選手として扱われるとは思ってもいなかっただろう。というか、オリンピックの代表選手を選ぶときに、ジムの経歴に気づいて待ったをかけた人はいなかったのだろうか。

週に15ドルをバイトで稼いでいただけで金メダル2個没収なんて、不憫すぎる…。

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金メダルが剥奪されてから返還まで

金メダルが剥奪されてから返還までについてのトリビア

ジムは「自分はただの学生。他の学生と同じようにアルバイトしただけ。アマチュア規定は知らなかった。悪いことはしていないのに…」という旨の手紙を書いたが、受け入れられなかった。

「プロ選手」として生きていくしかなくなった彼はメジャーリーガーとして野球選手になり、現在のサンフランシスコ・ジャイアンツやシンシナティ・レッズ、ボストン・ブレーブスなどの有名球団で活躍する。1913年には、世界野球の一環で日本にも来たことがあるそうだ。

しかし先住民の血を引いているとして差別を受けていたため野球選手を引退し、プロフットボーラーに転向。野球以上の活躍を見せた。

金メダルを没収されてしまったことは本当に残念で悔しかったと思うが、プロ野球選手やアメフト選手として活躍の道が残されていたのは唯一の救いではないだろうか。「消えた天才」のようにならず、大好きなスポーツを一応は続けられてよかった…!

第二次世界大戦の終戦後から、ジムの名誉回復のための復権運動が起こり始める。1950年に行われた「20世紀前半で最も優れたアスリートは誰か」というアンケートでも、ベーブ・ルースを抑えて堂々の1位に輝いたのだ。

それでも、国際オリンピック委員会(IOC)はなかなか動かなかった。そして、名誉は回復されないまま1953年にジムは亡くなってしまう。それからIOCの会長が変わり、1973年にようやくジムのアマチュア資格が回復された。

1912年のオリンピックルールブックでは本来、「メダル獲得に対する抗議は閉会式後30日以内に行わなければならない」とされていた。

しかし、ジムの「プロ問題」が露呈されたのは閉会式から半年も経ってから。その抗議自体が無効のものだったとして、アマチュア資格が認められたのだ。

1974年にはアマチュア規定自体が撤廃され、1983年1月の剥奪から70年の時を経て、金メダルはジムの子供に贈られた。

ちなみに贈られた金メダルは新たに作られたもので、1912年にジムが獲得したオリジナルの金メダルは剥奪後に保管していた博物館から盗まれて行方不明らしい。…もっとセキュリティしっかりしようよ…。

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【追加トリビア】過酷な陸上十種競技と五種競技

過酷な陸上十種競技と五種競技についてのトリビア

1912年ストックホルム五輪のジム・ソープ

ジム・ソープが金メダルを獲得した陸上十種競技と五種競技は、とても過酷なスポーツだといわれている。五種競技はペンタスロンとも呼ばれ、走り幅跳び・円盤投・200m・1500m・やり投げを1日で行うもの。

十種競技はデカスロンとも呼ばれ、1日目に100m・走り幅跳び・砲丸投げ・走り高跳び・400mを行う。2日目は110mハードル・円盤投・棒高跳び・やり投げ・1500m。考えただけでも倒れてしまいそう…。

走る力・投げる力・飛ぶ力・瞬発力・持久力などすべてにおいて秀でてなければ、この種目で優勝することはできない。たぐいまれな身体能力をもったジムの力を、遺憾なく発揮できる種目だ。

十種競技の優勝者は、「キングオブアスリート」として賞賛されるぞ! 芸能人の武井壮さんは、十種競技の元日本チャンピオンである。

トリビアまとめ

今回の雑学記事では、20世紀前半の最も優れたアスリート、ジム・ソープについてご紹介した。

ジムがオリンピックで活躍したのはもう100年以上前のことでプレー中の動画などは見つけられず、現役時代の彼の活躍の姿を見ることはできないが、このような素晴らしい選手がいたということはこの先もずっと語られるだろう。

そして、彼の悲劇もオリンピックの負の遺産のとして歴史に残っていく。

このようなことが二度と起こらないように願い、オリンピックのさらなる発展に期待していきたい。東京オリンピックの観戦チケットは当たらなかったけど、テレビにへばりついて応援するよ!

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