今は便利な時代になったものだ。地図を見るにしても、スマホでグーグルマップを開けば自分の現在地、どちらを向いているかまで、リアルタイムで表示される。これを利用して迷うことはまずない。
紙の地図しかない時代は、まずなんとかして自分の現在地を知るところから、始めなければいけなかった。うーむ、グーグルマップに慣れてしまった現代人がこの時代に送り込まれたら、確実に迷子が続出するに違いない…。
このように、便利さでいえば圧倒的に進化したといえる現代だが、紙の地図の時代から変わっていない部分もある。たとえば「北が上」という基準は、あらゆる地図において長らく不変だ。
今となっては北が上ではない地図など、見るに違和感しかないが…どうして? 一体誰が北を上だと決めたのか。気になったことはないだろうか。
深層に迫ってみると、そこには大自然の叡智から、方角を導き出そうとした人々の姿があった! 今回はそんな、地図にまつわる雑学をご紹介しよう!
【世界雑学】地図で上が北なのはなぜ?
【雑学解説】2世紀の地図製作者プトレマイオスは、北極星を頼りに方角を見定めた?
まず2世紀ギリシャの地図製作者・プトレマイオスが制作した地図は北が上だった。彼は地図に緯度・経度の概念を初めて持ち込んだ人物で、後世に正確な地図の指標を示したといえる。
そういった背景もあってか、16世紀頃になると、地理学者たちは北が上になったプトレマイオスの地図を複製し、こぞって使うようになる。
ここから北が上の地図が世界へと広がっていき、現在の「地図は北が上」という常識に繋がっているのだ。
また、実はそれ以前から、ヨーロッパの船乗りの間では、地図は北を上として見るものだったという事実も、現在の地図の在り方と無関係ではないだろう。
彼らが方角を確かめる際、北極星を確認の目印に使っていた。そして実際に地図を使ってみればわかるが、目印を上にする見方が一番見やすいのだ。
14世紀頃には、これにコンパスが併用されるようになるが、コンパスはあくまで曇りの日用。やはりコンパスがあっても、大半は北極星が頼りにされていた。
このことはプトレマイオスの地図と直接関わりはないと思われる。しかし、ひょっとするとヨーロッパの船乗りたちと同じく、プトレマイオスが地図を作ったときにも、北極星を目印に方角を把握していたのかもしれない。
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【追加雑学①】古代エジプトでは南・中世ヨーロッパでは東が上
北が上の地図が一般的になる前は、どういった地図が使われていたかというと、時代や地域によってさまざまだ。
まず古代エジプトでは、現在とまったく真逆の南が上の地図が使われていた。
これはナイル川の流れる方向に関係しているといわれている。川の水は重力によって流れていくと考えられていたため、ナイル川が北へ向かって流れていく様子から、南が上になったとされているのだ。
また中世ヨーロッパでは、キリストの聖地・エルサレムが真ん中に来るよう、東が上に描かれた地図が多かった。そしてアラビアではイスラムの聖地・メッカが真ん中に来るよう、南が上に描かれているなど、地図を作るにも宗教的な観点が持ち込まれていた。
古代の人たちは自然の流れを汲んで。そして中世の人たちは宗教の聖地から。まるでその時代それぞれの畏敬の対象を表すかのようで興味深い。
【追加雑学②】世界初のコンパスができたのは、紀元前2400年代の中国にて!
方角を示すコンパスを地図と併用して使うようになったのは、前項でもあったように14世紀頃のヨーロッパの船乗りたちが最初だ。
しかし世界初のコンパスが作られたのは、それより数千年前の話。紀元前2400年代の中国にて、伝説の皇帝・黄帝(こうてい)が戦のために作らせた物が最初だという。
この世界最古のコンパスは「指南車」と呼ばれ、現代の磁石を使用したコンパスとは造りが大きく異なる。指南車だからといって南を示すわけでも、コンパスのように北を示すわけでもない。
台車の上に人形があしらわれ、台車を移動させても歯車が回転することによって、人形の向きが変わらない。つまり決まった方角ではなく、一度人形の向きを設定すれば、どこへ移動しても人形の向きで設定した方角が知れるという代物だ。
動画では指南車の仕組みを、現代のカラクリで再現したものが紹介されている。物も技術も限られていた紀元前2400年代。この時代に同じものが作られていたと考えると、当時の人たちの知恵にただただ驚かされる。
雑学まとめ
今回の雑学はいかがだっただろうか。地図を見るときに、北が上という常識が出来上がったのは、16世紀の地理学者たちが相次いで、北が上になったプトレマイオスの地図を手本にしたことからだった。
しかしそれ以前から北極星を目印に進路を決める風習はあった。彼が北が上の地図を作ったことも、そういった風習との不思議な繋がりを感じさせられる。
結局、北極星を目印にしたかは定かではないが、彼は天動説を唱えた学者でもある。そういった点からも、ヨーロッパの船乗りたちと同じように、地理を知るために天体を目印にしていたというのは大いにあり得る話だ。
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やはり地球のことを知るには、自然の中のものを目印にするというのが、ごく自然な流れなのだろう。