「も~えろ、ドラゴンズ~!」の応援歌で有名な中日ドラゴンズ。
プロ野球セ・リーグの球団のひとつであることは皆さんご存知だろう。広いナゴヤドームをホームグラウンドとし、鉄壁の守りと高い投手力が伝統の球団だ。
この中日ドラゴンズ、名前の由来は何なのだろうか? ドラゴンは龍のことであろうが、中日と龍に何の関係があるのだろうか?
というわけで今回は、中日ドラゴンズについての雑学を紹介しよう!
【スポーツ雑学】中日ドラゴンズの名前の由来は?
【雑学解説】「中日ドラゴンズ」はオーナーの干支が由来
中日ドラゴンズの名前の由来は、オーナーの干支だったのだ! ではオーナーの干支が猿年だったとしたら、中日モンキーズになっていたということか…。
それにしても、杉山虎之助という名前からすると、虎を使って「タイガーズ」にしたほうが良かったのでは、と考えてしまう。
本当はタイガースにしたかったらしいが、すでに大阪タイガース(現在の阪神タイガース)が存在していたため、致し方なくドラゴンズにしたという事情があったそうだ…。
中日の本拠地は名古屋だが、名古屋といえば思い浮かぶのは名古屋城の金のシャチホコだ。
そのためシャチホコとドラゴンは似ているし何か関係あるのか? と勘ぐっていたが、全く関係なかった。オーナーの干支とは、何となく拍子抜けしてしまう結論であった。
漢字のみの名前からニックネームへ
ちなみにこのドラゴンズやカープ・タイガースといった球団名。今でこそ当たり前のように使われているが、プロ野球発祥のときにはまだ導入されておらず、阪急軍・名古屋軍など漢字のみのストレートな名称だった。
1947年にアメリカメジャーリーグベースボール形式のニックネームを全面的に導入となり、「漢字+愛称」のチーム名統一がスタートしたのだ! そこから中部日本ドラゴンズに。その翌年の1948年には中日ドラゴンズへと改名された。
ちなみにジャイアンツとタイガースの由来となったのはメジャーリーグの球団名。それぞれ、サンフランシスコ・ジャイアンツ、デトロイト・タイガースが由来となっている。
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【追加雑学】中日ドラゴンズにいた名選手たち
中日ドラゴンズを語るうえで欠かせない名選手がいる。
ここでは2人紹介させていただく。
落合博満
落合博満は三度の三冠王という不滅の大記録を成し遂げている。さらに監督としても四度のリーグ制覇・一度の日本一を達成し、指導力も兼ね備えた天才だ。
落合博満には数々の逸話があるが、そのなかでも光るのが高校時代のエピソード。
プロ野球選手といえば、高校時代は四番で甲子園に出場していたというイメージがあるが、彼は甲子園どころか野球部にまともに所属していなかった。
今でこそ、見直そうとする動きはあるが、当時の高校の野球部といえば、先輩からのスパルタ指導や理不尽な圧力といったものは当たり前だった。
落合選手はこのような体育会系の慣習を嫌い、練習が一番楽そうだったという理由で秋田工業へと進学するが、そこでも上記のような慣習はあったため野球部を辞めてしまう。
しかし実力が圧倒的だったこともあり、試合や大会のたびに呼び戻されて仕方なく復帰。計7回の入退部を繰り返したのだ。あきらかに常人離れしたエピソードだ…。
こちらは落合博満バッティング集の動画だ!
軽そうな動作からめちゃめちゃ飛ばす落合選手、すごすぎる。
山本昌
山本昌も落合博満ばりにすごい。なんと32年間、50歳まで投手として現役を続けたのだ。ただ続けただけでなく、通算200勝を達成するなど実力も備わっていた。
さらにプロ野球史上最年長の41歳でノーヒットノーランをやってのけているのだから、いい意味で化け物のような選手である。
決まった瞬間の観客の歓声がすごい。いやしかし、本当に40代の選手なのか!?
しかもすごいのは野球だけにとどまらず、趣味のラジコンも極めており、全国選手権で4位に入賞するという成績を収めている。クワガタ界で凄腕のブリーダーだった時代もあり、色々と規格外の人物なのだ。
中日ドラゴンズの雑学まとめ
中日ドラゴンズについての雑学、いかがだっただろうか。中日ドラゴンズの名前の由来は、当時のオーナーの干支からきているのだ。
「なぜ干支?」と思うかもしれないが、オーナーの名前が杉山虎之助だったことから「タイガース」と名付けようとしたが、すでにタイガースが存在していたから干支を使おうと思いたったらしい。
まあ、ドラゴンズもタイガースと同じくらい強そうでカッコいい名前なので、ニックネームとしては適しているだろう。
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