日本の伝統文化のひとつ、わびとさび。いまや海外でも人気で、これぞ日本! と胸を張ってアピールできる日本独自の美意識だ。
だけど・・・「わびとさびって何が違うの?」と聞かれたら、なんて説明したら良いんだろう? わさびと錆のことじゃないよね? わさびはたしかに日本っぽいけど。
…なんてことにならないように、今回ご紹介するわびとさびの違いについての雑学をしっかり読んでおこう!
【生活雑学】わびとさびの違いは?
【雑学解説】わびは心のあり方、さびは時の流れが生み出す美しさ
日本の伝統的な美意識「わび・さび」として一括りにされてしまうわびとさびだが、本来は別々の意味を持つ言葉である。
- わび・・・古語動詞「わぶ/侘ぶ」(バ行上二段活用)の連用形
気落ちする・困惑する・寂しく思う・貧しくなる・謝る・静かな境地を楽しむ
- さび・・・古語動詞「さぶ/寂ぶ・荒ぶ」(バ行上二段活用)の連用形
色あせる・古くなって荒れる・長いこと放置されて趣や渋みが出る・人けがなくなる・寂しくなる・錆びる
美意識として語られる「わび」が意味するのは、古さや静かな境地を楽しむという心の動きやあり方。
それに対して「さび」は、古さや顧みられない静けさの中に生まれる美しさという状態のことを指している。
つまり、わびが人の内面を表すのに対し、さびは物質の状態を表すという違いがあるのだ。
【追加雑学①】わび・さびが美意識になったのは室町時代
わびもさびも、本来は貧しさや寂しさそのものを指す言葉で、当然のことながらネガティブな意味で使われていた。
風向きが変わったのは室町時代になってから。俳諧や能楽、さらに茶の湯が発展するに従って、今までネガティブな目で見られていた質素な様子や古い物が、一転して美しいと思われるようになったのだ。
わびは「貧しさや十分に足りていない状態の中に美しさを見出す心」として、さびは「時間の流れによって古くなったり寂しくなったりするものの内側からにじみ出てくる美しさ」として捉えられるようになり、美的理念として確立されていったというわけだ。
わびとさびは、それぞれ別の意味をもつ言葉ではあるが、さびの「時の流れが生み出す美しさ」は、わびという「質素で寂しい様子を美しいと感じる心のあり方」があってこそ活きるもの。そう考えると、この二つは切り離すことが出来ない、いわば二つで一つの概念といえるかもしれない。
スポンサーリンク
【追加雑学②】わび・さびを茶道に取り入れたのは千利休ではない
千利休といえば茶の湯(茶道)。茶の湯といえばわび・さびの精神。つまり千利休は、「THE わび・さび」である。ただし、彼がわびとさびを最初に茶の湯に取り入れたのではない。あくまでもわびの精神をもつ「わび茶」を完成させたのが千利休ということなのだ。
では、最初に茶の湯にわびを取り入れたのは誰か? それは、村田珠光(むらたじゅこう)という人物だ。村田珠光は浄土宗の僧だったが、一度還俗し、その後一休宗純について禅を修行した。そのときに茶の湯からハデハデな茶器やゴージャスな茶会をとっぱらい、わびの精神を取り入れた「わび茶」を生み出したそうなのだ。
次に、武野紹鴎(たけのじょうおう)が和歌や連歌の美的理念を取り入れた。2畳半から3畳半の小さな茶室「わびしき(侘敷)」と4畳半以上の茶室「さびしき(寂敷)」を考案したのも彼だ。
このように二人の先人の発想と探求があり、それを千利休が最終形態まで進化させたというのがホントのところである。
おすすめ記事
-
千利休が発案!お好み焼きの原型は戦国時代にできていた
続きを見る
「わび・さび」ってどんな感じだっけ? という人はこの動画を見よう!
わび・さびを分かりやすく表現してくれている動画を発見した。わび・さびがどんな感じがよく分からないという人はチェックしておこう!
雑学まとめ
「わび」と「さび」は似ているようで全く別の意味をもつものだった。しかし決してかけ離れてはいない。というかむしろ、わびとさびセットだからこそ成り立っている概念なのだ。
日本が世界に誇れる伝統的かつ独自の美意識なので、もし「わび・さび」について話す機会があったら、ぜひこの雑学を活かし、説明してあげてほしい。