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クジラとゴリラ!ゴジラの名前の由来とは?

雑学カンパニー編集部

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ゴジラの名前の由来は「クジラ」と「ゴリラ」だった?という雑学

ゴジラというと、私は1994年に公開された『ゴジラVSスペースゴジラ』が好きである。スペースゴジラの襲来を受け、打倒ゴジラのために作られたはずの兵器・モゲラがゴジラと共闘することになるくだりがめっちゃ好き! やっぱ共闘は怪獣映画の醍醐味だよね!

さて…今でこそ、このように人間の敵とも味方ともつかないポジションを守っているゴジラ。1954年に公開された1作目では、完全に人間に恐怖を伝えるための存在として描かれていたことを知っているだろうか。

そしてみんなが親しみを込めて読んでいる"ゴジラ"という名前。恐怖の存在にその呼び名が付いたことにも興味深いエピソードがある。今回はそんなゴジラの由来を始め、1作目公開時の雑学をいくつかお届けしよう!

【サブカル雑学】ゴジラの名前の由来は「クジラ」と「ゴリラ」だった?

ひかり
「ゴジラ」は、「クジラ」と「ゴリラ」を使ったあだ名の人が実際にいて、そこから生まれた名前らしいよ!
ゆい
す、すごいあだ名ね…!

【雑学解説】ゴジラの由来は「クジラ」が好物の「ゴリラ」っぽい人から

ゴジラの由来は「クジラ」が好物の「ゴリラ」っぽい人からというトリビア

1954年当時、日本で最初の怪獣映画として大いに話題を集めたゴジラ。制作過程で意外にも難航したのは、そのタイトルに関してだった。当初はゴジラという怪獣の名前も決まっておらず『海底二万哩から来た大怪獣』という仮タイトルが考えられていた。

しかしこのタイトル…なんか長すぎるし、言っちゃ悪いけどダサい。ゴジラのプロデューサーを務めた田中友幸さんもそう感じていたらしく、何か別の案はないかと頭を悩ませていたのだという。

そこに助け舟を出したのが佐藤一郎プロデューサーで、Wikipediaにも以下のようなやり取りが載せられている。

田中友幸は、題名が『海底二万哩から来た大怪獣』では長いので、もっと良い題名はないものかと考えあぐねていたところ、佐藤一郎プロデューサーから、当時東宝演劇部にいた"「クジラ」が好物で「ゴリラ」のような容貌"をした網倉志朗(後の東宝演芸部部長)という人物のあだ名が「グジラ」だと聞きつけ、語呂の良いこのあだ名を参考にし、「ゴリラ」と「クジラ」を合わせて「ゴジラ」とした。(出典:ゴジラ(1954年の映画)-Wikipedia

ゴリラっぽい人が丁度クジラ好きだったということが単純におもしろい。そりゃあ、あだ名にもなるわ。と、同時にクジラが普通に食べられた事実に昭和風情を感じさせられる。

ちなみにこのとき、印象が弱いという理由で「ゴジラー」と伸ばした名前にしたらどうだという意見もあったとか。マヨラーとかアムラー的な。…最近の人ってアムラーわかるの?

ひかり
今となっては「ゴジラ」以外考えられないよね!

ただ…これも実は現在の東宝社員さんからすると、はっきりとした説とは言えないらしく、社内でもマジで諸説ある状態になっているのだとか。単にでかいクジラと強そうなゴリラを掛け合わせただけという説も、なきにしもあらずである。

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クジラの映画になる可能性もあった

クジラの映画になる可能性もあったというトリビア

こうしてクジラとゴリラを掛け合わせて決められたゴジラの名前は、今となってはそれ以外ないというぐらいのものになっており、大成功といえる。

ただその名前からインスピレーションを受けてのことか、当時はそのあらすじに関して、今のゴジラとまったく違う内容になってしまう案もあったという。

ゴジラで特殊技術を担当したのはウルトラマンの生みの親としておなじみの円谷英二さん。彼はゴジラの制作に際して、「クジラが東京を襲う内容にしたい」と企画案を提出しているのだ。

またその翌年には「日本の捕鯨船がインドで巨大なタコに襲われる」という内容の企画案も…。うん、海から出てくる化け物っていったら、これらの発想に行き着くのは自然な流れである。

…でもこの案で通してたら、きっとよくあるモンスターパニック系の映画と同じような印象になってたよね。正直ここまでシリーズ化もされていない気がする。

結局は田中プロデューサーの「水爆実験の影響で目を覚ました恐竜の映画にしよう」という案が採用され、現在に続くゴジラの原型が生まれるに至る。

なんでもこの着想は1954年にアメリカが行った、マーシャル諸島・ビキニ環礁においての水爆実験を受けてのものだったという。このとき運悪く、日本の漁船「第五福竜丸」が巻き込まれる事故が起きている。

田中プロデューサーはインドネシアから帰国する際に、眼下に広がる海を眺めながらこの悲劇を思い浮かべ、ゴジラのイメージに結び付けたという。

そもそも戦争の恐ろしさを表現するという構想で練っていた作品に対し、タイムリーに起こったこの事故のメッセージは絶対に加えるべきだ…というような想いがあったのかもしれない。

以下の動画は1954年公開の『ゴジラ』1作目の予告編である。放射能を吐き出すゴジラは、まさに核の恐ろしさを体現しているといえる。

ゆい
これが1作目!?大迫力でびっくりしたわ!

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【追加雑学①】作中における「ゴジラ」の由来は大戸島に伝わる神様の名前

ゴジラという怪獣の名前が決まったはいいが、そうとなれば作中の描写でも、人々が怪獣を"ゴジラ"と呼びだす動機を作らなければならない。ここで考えられたのが、舞台となった大戸島(架空の島)に古くから伝わる海神という設定だ。

大戸島近海には、古くから呉爾羅(ゴジラ)という海神が住んでおり、彼が一度目を覚ますと近海の生物をすべて食い尽くし、それでも足りないがゆえに陸に上がって人や家畜にも危害を加え始めると信じられていた。

それゆえ、漁が不作のときはいつも呉爾羅が目を覚ましたとされ、嫁入り前の娘を生贄に出す風習があったという。

いかにも日本の神話に出てきそうな話だ! 単に未知の生命体とするより、神様という設定があったほうが、どうしようもない感が際立つ感じもする。

神様設定はハリウッド版『GODZILLA』にも受け継がれた?

1998年より、ゴジラはいよいよアメリカにも輸出され、ハリウッド版の『GODZILLA』シリーズが制作されるようになっていく。実はこのGODZILLAにも、日本のゴジラ1作目の神様要素が受け継がれていることに気付いているだろうか。

そう、"GOZILLA"ではなく、"GODZILLA"となっているのだ。英語で"神"を表す"GOD"の文字がさりげなくタイトルに組み込まれているのである。

これについては東宝社員さんに対するインタビュー記事があり、経緯ははっきりしないものの、東宝の社員さんが1作目の神様設定にちなんで、この綴りを考えた可能性は大いにあると語られている。

こうしてゴジラはアメリカを舞台にしてもなお、絶対的な脅威であることをイメージ付けることに成功したわけだ。

以下は1998年公開のハリウッド版『GODZILLA』のクライマックスシーンである。

ハリウッド版『GODZILLA』は問題作?

このハリウッド版のGODZILLAだが、ご覧のように日本のゴジラとはまったく似ても似つかないため、実は当時「ゴジラちゃうやん…」という声が多数寄せられた問題作でもあった。

違うのは見た目だけじゃない! GODZILLAには、日本のゴジラとは違うトンデモ設定がこれでもかとあるのだ。

  • 時速480kmで走れる
  • 単体でも繁殖できるうえ、一回で200個も卵を産む
  • 生まれてきたリトルゴジラが人間を襲う
  • むしろ妊娠した状態で産まれてくる

などなど。なんか本家とはまったく別の意味で怖い…。

【追加雑学②】『ゴジラ』は『原子怪獣現わる』の影響を受けた作品

核実験でよみがえった恐竜と人間の戦いを描いた映画といえば、なんとなくゴジラがパイオニアのようなイメージがある。

しかし実はゴジラの公開1年前に、同じような内容の映画がアメリカで公開され、500万ドル以上の売り上げを記録する大ヒットを飛ばしているのだ。そのタイトルは『原子怪獣現わる』。

あらすじとしては、北極圏で行われた核実験によって目覚めた恐竜がアメリカに上陸するというもの。…ゴジラやん。

そう、ゴジラは前年に公開されたこの映画に、かなりの影響を受けているという。こういった内容の映画が話題になり、同時期に水爆実験も行われ…核を想起させる出来事が重なったタイミングだったという感じか。

以下が『原子怪獣現わる』のトレーラー映像だ。

…なんかイグアナっぽい。というか思ったよりでかくない。

映画に登場する「リドサウルス」は放射能の影響で巨大化しているものの、ご覧の通り、ゴジラほど絶対的な強さを誇るわけではない。しかし血液中に古代の病原体をもっていて、うかつに攻撃できないという厄介さをもった怪獣である。

ひかり
め、めっちゃ怖いじゃん…!

予算の関係で実現しなかったが、放射能を含んだ炎を吐く予定もあったという。もっと凶暴な怪獣にしたかったものの、やむを得ず生物兵器的な路線に変更したのかもしれない。

そう思うと、リドサウルスが成し得なかった理想像をゴジラが体現したといえる気もする。

雑学まとめ

今回はゴジラの由来から、1作目が制作された当時の雑学をいくつかお届けした。

1954年に公開されたこの作品は、観客動員数961万人という、当時の国民10人に1人が見ていた計算になる記録的ヒットを生み出し、不振に陥っていた東宝を立て直すことに成功している。

ひかり
すごーい!ゆいちゃん、次回のゴジラ、いっしょに観に行こうよ!
ゆい
いいわね!次の上映が楽しみね!

タイトルが『海底二万哩から来た大怪獣』のままだったら、クジラやタコの映画だったら…きっとここまでのヒットにもならなかっただろうし、息の長いシリーズになることもなかっただろう。

現代に続く名作を作ってくれた田中プロデューサーを始めとする制作陣、そしてクジラが好きなゴリラっぽい人に感謝しなければ!

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