短い言葉の集まりで表現される詩は、書き手次第で世界観が大きく変わる面白い読み物だ。
私も詩が好きで、文学レベルの高度なものから、子供でも楽しめる可愛らしい詩まで、さまざまな詩集を持っている。多岐に渡るその内容は、まさに文学とも芸術ともいえる。
詩は短いからこそ味わい深いものである。短ければ短いほど言葉選びが重要になり、またセンスが問われる。
そんな詩の世界において、わずか一文字の詩を作った人物が日本人にいる。明治~昭和の世を生きた詩人・草野心平である。…ん? 一文字? 「命!」とかそんな感じか?
いやいや、彼が書いた一文字はもっと意味深である。今回はそんな世界最短の詩に関する雑学を紹介しよう。先に断っておくが、これから先の文章に文字化けやバグなどは一切起こっていない。あなたのスマホやパソコンは正常である。
【面白い雑学】世界一短い詩は草野心平の「冬眠」
【雑学解説】草野心平の「冬眠」はどんな詩…?
芸術の世界には抽象画や現代美術など、一般人には理解しにくい作品もたくさんある。音楽の世界にしても、普通の人が聴いてもピンと来ないのに高く評価されている作品は珍しくない。
そんな一見理解に苦しむ作品に並ぶ詩が、草野心平が1951年に発表した詩集『天』の末尾に載せられた『冬眠』という詩である。なんといっても世界一短い。
その内容は「●」で、終わりだ。
ここで草野心平の「冬眠」を見てみましょう pic.twitter.com/lyAAqPhuYu
— バルゴート (@BarbaroGoatee) August 26, 2014
…え? それって詩なの? なんか意味あるの? …と、思うだろう。
そこはやっぱりプロの詩人。意味のない詩なんて作らない。この「●」はタイトルの通り、カエルの冬眠を表しているのだ。「●」は穴を表していて、このなかでカエルが眠ってるとかそんな感じか…?
真意はわからないが、心平は「頭で考えるから詩は難しくなります。心で感じたら詩は難しくありません」と語ったことがある。つまり…読んだ人がパッと見てカエルが眠っている穴だと感じたら、それもまた正解ってこと?
ちなみに心平はこの冬眠をはじめ、カエルにまつわる詩を多く残したことから「カエルの詩人」と呼ばれている。カワイイ通り名じゃないか。
で…意味はなんなの?
心平が上記のように話しても、こんな作品が出てくれば世間で議論が繰り広げられるのは当然の話。「●」を穴に見立てるほかにも、以下のような意見が飛び交っているぞ。
- 冬眠中はやることがないから、「〇」を黒く塗りつぶして暇つぶししてたんだろう
- 冬眠中に子作りをしていて、「●」はオタマジャクシを表しているんじゃない?
- 穴のなかが暗いことを表しているんだろう
などなど。まあ、どう捉えようと自由である。一方で「●」が普通の文字より大きいサイズで書かれていることから、以下のような憶測もされている。
- 何か世間的にマズイことを書いちゃって、隠すために「●」で塗りつぶしたんじゃない?
- 文字を書き始めたものの、続きが思い浮かばなくて「もういいや!」って「●」で塗りつぶしたんだろ
- 出版社からページ数を指定されていて、どうしても1ページ足りなかったとか?
…これらが本当だとしたら、世界一短い詩だけじゃなくて、世界一適当な詩の称号もゲットできそうだぞ。真意はいかに。
「こんなの詩じゃねえ!」と物議を醸す
これを詩と認めてよいのかという議論ももちろんされてきた。まあ、言葉じゃないしね。
「?」の一文字で終わる世界一短い手紙を書いたヴィクトル・ユーゴーのファンからは「まあまあ、記号だって立派な文字じゃない」というフォローもあった。
しかしクレーマーというのはそれでも粗を探すもので、「"?"には何かを問うという意図があるけど、"●"に意図なんかあるか!」と言い出す。
こんな言い争いに結論が出るわけもなく、実のところ世界一短い詩の座は不確定なままである。
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出版社としても「こんなの出したら炎上しちゃうよ…」と、出版前には二の足を踏んでいたという。しかし筑摩書房の顧問をしていた中村光夫が心平の詩を気に入り、同社から出版が決まったのだ。
この中村さん、作家を主人公にした自伝小説が嫌いで、よく批評していたことでも有名な人である。やっぱりちょっと変わった人だった…。
まあ、でも冬眠の詩を評価している作家はたくさんいるし、私としては、詩集として発売にいたっている時点で、世界一短い詩に認めていいような気がする。
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【追加雑学①】草野心平のスゴい詩は「冬眠」だけではない【動画】
「●」と書いて詩だと言ってしまう心平のこと、変わった内容の詩はまだまだ出てくる。
たとえば以下の動画の『ごびらっふの独白』という詩は、年老いたカエルがカエル語で語るというコンセプトの内容だ。
カエル語…? 確認する前から、いろいろおかしいのはわかるが…実際に心平の朗読を聴いてみよう。
…日本語訳あってよかったー! 完全に置いてきぼりにされるところだったぞ!
なんだかドイツ語のような響きにも聞こえるが、これは紛れもなく心平の作ったカエル語だ。まさか己の幸福論を語っていたとは…いい加減に見えてかなり作りこまれている。
このほかにも心平作のおもしろい詩はいくらでも出てくる。
『春殖(はるえ)』
「るるるるるるるるるるるるるるるるるるるる」と、「る」が20個書かれただけの詩。パソコンのキーボードがバグったわけではない。
なんでも、カエルの卵が連なった様子を表しているという。まあ…あのヌルヌル具合を音にすると「る」という感覚はなんとなくわかる。
または何十匹のカエルが一斉に交尾をしだしたときの声だとか、単純に交尾の喜びを表した擬音語だという説も。…田舎行ったら田んぼから聞こえてくるやつね。
『冬眠を終えて出てきた蛙』
『冬眠』に続いてこの詩もやっぱりちょっと変だ。内容は「両眼微笑」、この4文字のみである。新しい四文字熟語作っちゃったみたいになってるぞ…。
春の温かさに、カエルがニッコリ微笑んで出てくる感じとか?
『天気』
Qの文字でオタマジャクシが泳ぐ様子を表している。
それでは、朗読します
草野心平で「天気」 pic.twitter.com/S4ze7Cxi9B— 味付けルナール (@zkAgBAkvz0n02R8) January 29, 2020
これって、いわゆる絵文字の先駆けじゃないか? この人やっぱり天才だわ…。
ちなみに使われたQは全部で45個。福井県いわき市の草野心平記念文学館では、45個のQを使って参加者オリジナルの『天気』を作る催しが行われたこともある。
【追加雑学②】生涯で1400篇以上の詩を残した草野心平
草野心平の詩を語るうえで欠かせない話題は、その独創性ももちろんのこと、なんといっても多作な点だ。生涯に残した作品は実に1400篇以上ともいわれているぞ!
心平は17歳のころに中国の広東嶺南大学に進学。その際、16歳で亡くなった兄のノートを持っていき、そこに書かれていた詩をきかっけに、詩作にのめり込む。詩が量産されていくあまりの速度に、当時は友人から"機関銃"の異名で呼ばれるほどだった。
そんな心平が出した最初の詩集は1923年に出版された『廃園の喇叭(はいえんのらっぱ)』。これは兄がノートに残していた詩と、自身の詩をまとめたもので、自費出版にて刊行されている。
ここから2年間が破竹の勢いで、なんと1925年までに計8冊の詩集を刊行。以降は貧困に悩まされ、新聞記者や焼き鳥屋など、さまざまな職を転々とすることになるが、1928年に初の活版印刷である『第百階級』の出版にこぎつける。
これが最初のカエルをテーマにした作品で、心平のターニングポイントになったといっていいだろう。
また、74~86年代にかけての勢いは凄まじく、筑摩書房の持ち掛けた「1年に1冊必ず詩集を発表する」という年次詩集の企画を敢行。その間、別の出版社からまた違う趣旨の詩集を発表する多作っぷりである。
これだけ作品を残していれば、そりゃあ文化勲章も受賞するわけだ…。相変わらず居酒屋やバーなんかの経営もしていたというし、ほんとによく働く人である。
生涯書き続けたカエルの詩
心平の作品の要となるテーマはやはりカエルで、この生き物だけの詩集を全部で4冊出している。
- 『第百階級』…1928年
- 『蛙』…1938年
- 『定本 蛙』…1948年
- 『第四の蛙』…1964年
もちろんこれ以外の詩集にも数篇ずつカエルの詩は収められていて、1400残した詩のうち、230篇ほどはカエル関連である。
ちなみに本人は別にカエルが好きだったわけではないというからほんとに不思議…。
「カエルの詩を作るのを何度もやめようと思った」とも口にしており、第百階級のあとがきには「僕はカエルなんぞ愛していない!」とも残されている。
じゃあなんで生涯書いたんだよ…って話だが、これはカエルの詩を書くようになったきっかけを聞けば納得だ。なんでも中国にいたころ、カエルの鳴き声が故郷のなつかしさを思い出させてくれたのだという。
その特別な思い入れが、何度も書きたくないと思う心平とカエルを繋ぎ止めたのだろう。
カエルに次いで頻出したのは富士山で、富士山の詩だけを集めた詩集『富士山』を1943年に出版している。こちらも生涯通して作品にし続けているぞ。
【追加雑学③】草野心平は宮沢賢治を世に広めた人だった
草野心平には、数えきれないほどの詩作品を残したことだけでなく、文学史上に残るある大きな功績がある。実は最初に宮沢賢治全集を発行し、宮沢賢治の作品を世に広めた人物なのだ。
心平が詩作活動を開始してしばらくのころ、1924年に宮沢賢治が出した『春と修羅』という詩集がある。心平はこの作品に大きな衝撃をうけたことがきっかけで、賢治の作品に惚れ込んでいく。
実際に生前の賢治と面会することはなかったが、心平が主宰した同人誌へ誘うなどの交流は行われていた。
そして、賢治の死後も賢治作品の紹介を続けながら編集を行い、賢治の弟・宮沢清六や『智恵子抄』で知られる詩人・高村光太郎などの協力を得て、1969年、日本で最初の宮沢賢治全集を刊行したのだ。
評価されていなかった賢治の名作たちは、心平の尽力で広く愛されるようになったといって過言ではない。これはグッジョブだ!
この内容に関しては以下の記事にも記したので、興味があれば見ていただきたい。
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草野心平の雑学まとめ
今回は世界一短い詩、草野心平の『冬眠』の雑学を紹介した。
「●」一文字の詩となれば、内容を理解するのはやっぱり難しい。あなたはこの詩をどう読み解く?
草野心平の詩には、ここで紹介したもの以外にも風変わりな作品が数多く存在する。
意味がわかるかどうかはさておき、不思議と惹きつけられる詩が並んでいるから興味深い。ぜひ一度、詩集を手にとって読んでみてほしい。
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